タウンニュース

研修会「赤羽末吉の人生と絵本」から

 時をこえて読み継がれている絵本『スーホの白い馬』。挿絵を描いたのは赤羽末吉。スーホ少年が白い馬を大切に抱いている表紙は、二人の絆を感じさせて余りあります。ページを繰るごとに吹き渡るモンゴル大草原の風、その誕生の秘密は……

赤羽茂乃さん

 川崎市教育委員会主催による全市図書ボランティア研修会「『スーホの白い馬』の草原を渡って〜赤羽末吉の人生と絵本〜」が、7月4日(木曜)、中原市民館で開催。

 モンゴルの伝統楽器「馬頭琴」の由来にまつわる物語『スーホの白い馬』(福音館書店)が世に出たのは、50年前の1967年、小学校の教科書にも採用され、親しまれています。末吉は、80年、日本人で初めて国際アンデルセン賞を受賞した絵本画家。

 講師の赤羽茂乃さんは、末吉の三男と結婚。中国での現地調査を重ね義父の絵本作りを研究しています。講演では、秘蔵の原画、スケッチ、写真を映しながら、絵本画家の足跡を辿ります。

 末吉を研究するようになったきっかけを、「私は赤羽家の嫁なんですが、父が亡くなった後、7000枚くらいの原画や資料の整理をしましたら、とても興味深く、父を研究することになったのです」と話す赤羽さん。

 1910年、東京で産まれた末吉は独学で絵を学び、32年、建国されたばかりの「満州国」に渡り、15年を過ごします。引き揚げ後アメリカ大使館に勤務し、本格的に絵本画家として独立したのは51歳のとき(〜90年)。この「満州」時代が、彼の画風に影響を与えたのは確かなようです。

 赤羽さんは、「満州」時代の末吉について次のように語ります。

 「夢だけを携えて大連に渡った父は、運送会社で働いたのですが、孤独な暗い日々でした。そのとき町で『コドモノクニ』(児童雑誌)と出合い、心に光が灯り、再び絵筆を執ります。通信会社に転職、新京(現・長春)に移り、現地や内蒙古を取材し、スケッチや写真を撮りました。画家としてだけでなく郷土研究家として新聞や雑誌に絵や記事を書き有名になっていきます。子どもへの眼差しを忘れたことはなく、中国と日本の子どもたちのための『満州月暦』を出版します。帰国の際は、数百枚のネガやスケッチを行李や身体に撒いて、命がけで持ち帰りました。『スーホの白い馬』は、当時の資料を参考に正確に描かれたのです」

 中国やモンゴルでの取材、深い造詣があったからこそ、『スーホの白い馬』の独創的な絵は生まれ、子どもたちに感動を与えたのが分かりました。

 末吉は精力的に仕事をしますが、赤羽さんは、「稼ぐより勉強がしたい。目先のことにとらわれず誠実に仕事に向き合うとそれが力になっていくと言って実践した父。それが父の生き方の姿勢だと思います」と言います。「赤羽末吉の絵本というのは、ただただ楽しい、面白い。それを読む子どもたちの心は自ずと育っていきます」と指摘。

 参加者は約150人。会場から「楽しい話を聞けて幸せでした」という声が挙がるほど、赤羽さんの語り口は優しく、「オシゲさん」と呼んだ末吉との情景が目に浮かびます。絵本の背景を知ると、ひと味違った読み聞かせになることでしょう。

関連ページ

「ボランティアは元気の素 地域で活かせる自分になる」
さくらスタッフが取材した身近な地域情報をお届けします♪
「第13回なかはら市民活動の集い なかはらっぱ祭り」開催
さくらスタッフが取材した身近な地域情報をお届けします♪

TOP タウンニュース お店紹介 サークル紹介 イベント情報 読者の声 古紙回収 お問い合わせ