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多摩川の改修工事に寄与した「アミガサ事件の足跡を歩く」

その昔、多摩川は、「あばれ川」と呼ばれていました。豪雨のたびに川は氾濫し、甚大な被害を受け苦しんでいた流域の村民は、築堤を訴えて“一揆”を起こしました。

アミガサ事件集結の地

 1914(大正3)年9月16日未明、橘樹郡御幸村(今の中原区・幸区)の村民らが上平間八幡大神に集結していた。この村だけではない、日吉村、住吉村、町田村などの農民ら500人以上が、横浜の神奈川県庁を目指し、陸続として進んで行きました。これまでも水害を防ぐための築堤の請願を繰り返してきたが実現せず、“一揆”を起こしたのです。月明りの中、互いの目印となるように被ったのが「編み笠」。後世「アミガサ事件」として伝えられます。

 8月28日(月曜)に中原区役所で開かれた「なかはらの魅力発信講座」で、「アミガサ事件・有吉堤を検証する」が取り上げられました(主催・中原区/協力・なかはら散策ガイドの会)。

 講師は、「アミガサ事件100年の会・有吉堤竣工百年の会」の関ア益男さん(地域史研究家)。「アミガサ事件は多摩川の本格改修工事に大きく寄与しました。アミガサ事件を郷土・地域の誇りとして、後世にひろく語り伝えていきたいです」と語り、事件の中心的人物2人に焦点をあて講義。

 ひとりは、アミガサ事件の主導者で御幸村村会議員の秋元喜四郎(1866〜 1934)。秋元は上平間で代々名主を務める家に生まれた16代目当主。農業と砂利採取を営み、事件後、多摩川築堤期成同盟会を組織し築堤運動に尽力しました。

 もうひとりは、アミガサ事件の翌15年に神奈川県知事に就任した有吉忠一(1873〜1947)。有吉は、事件を機に御幸村の道路をかさ上げした堤防工事を始め、16年に完成させました。堤防はその尽力を称え「有吉堤」と命名されました。

 有吉堤は、現在、その面影を見ることは難しいですが、ガス橋や中丸子児童公園、下沼部小学校付近2・18キロにわたって造られたそうです。

 アミガサ事件から100年が経過した今日、改めて、その意義が見直されています。

 アミガサ事件決起の場所となった上平間八幡大神には、2014年9月に記念碑「アミガサ事件集結の地」が、中丸子児童公園には16年10月に「有吉堤竣工百年の碑」が、建立されました。

 9月25日(月曜)に行われた、講座の第2弾「アミガサ事件の足跡を歩く」(まち歩き)は、これらの記念碑を中心に回りました。向河原駅を出発して平間駅までの約2時間、案内役を務めた「なかはら散策ガイドの会」(田中恵子会長)の丁寧な解説で、苦闘の歴史に思いを馳せることができました。

 参加者は40人。ひとりの女性(60代)は、「アミガサ事件について初めて知りました。小杉に引っ越してきて10年になるのですが、退職したのを機に、地域のことを知ろうと思って参加しました。勉強になりました」と話してくれました。

 多摩川の氾濫から地域を守るために立ち上がった民衆の力を感じさせる講座でした。

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