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川崎銘菓「大師巻」を生んだ堂本製菓の歩み

神奈川県指定銘菓にして川崎土産として名高い大師巻。世紀を越えて手造りにこだわり続ける堂本製菓の味ごころとは……

川崎銘菓「大師巻」を生んだ堂本製菓の歩み

 「大師巻は、毎週木曜に入荷するんですが30分で売り切れてしまいますよ」

 武蔵小杉で唯一、大師巻を販売しているのが東急フードショースライス(2階諸国銘菓内)。見渡すと、大師巻は見当たらず、店員さんにお聞きしての返答。販売開始からすでに5時間を経過しており、入手困難な銘菓と聞き及んではいるものの残念。ここだけではない、工場直売店・直営店などでも午前中に完売になる逸品。

 大師巻の製造販売は、老舗の堂本製菓(株)。6月21日(木曜)、堂本製菓の堂本典子代表取締役の講演「神奈川・川崎の銘菓『大師巻』を生んだ堂本製菓」が、川崎市学習生涯プラザで開かれました。この講演は、川崎市生涯学習財団とかわさき市民アカデミーの地域協働講座で、10回講座「地域社会に貢献している川崎の会社と人々」の1コマ。開講30分前に教室はほぼ満席(シニアの参加者57人)となり、堂本代表取締役が登場すると、拍手が沸き起こりました。率直な語り口で、“煎餅屋 堂本“の歩みを話します。

 109年前の1909(明治42)年、創始者、堂本六左衛門が、東京市本所区柳橋梅森町(現在の墨田区)に米菓製造販売業を開始。13(大正2)年に八王子市八日町に移転し、川崎市に移ったのは29(昭和4)年、二代目堂本三郎の時。55年生まれの四代目の典子さんの祖父は、なぜ、川崎で商売を始めたのでしょうか。

川崎銘菓「大師巻」を生んだ堂本製菓の歩み

 「堂本家の先祖は、福井県の竹尾(現・越前市)というところ。初代は煎餅づくりを教わり、煎餅屋を始めたのですが、海が近かったために水害に遭い、八王子市に引っ越したのです。当地では一家3世代が住んでいたのですが、祖父三郎の兄が突然家を出たため、祖父が毎日、自転車で探し回ったところ六郷に居を構えてたことが分かりました。祖父は家族とともに、大好きな兄のいる地、川崎に移り住み、一生懸命仕事に励みました。こうした人を思う気持ちが堂本製菓に繋がっていると思います」

 大師巻を考案したのは、父、三代目の清一。51年に個人企業から有限会社に、70年に堂本製菓株式会社に社名変更。

 「大師巻が誕生したのは42〜43年前の昭和50年代前半。周囲の人達の助言を受けながら作ったようです。生地の米、海苔は国産を使用し、今でも巻く工程・袋詰め工程等は手作業で行っています。当時は、今ほど地名度もなかったのでスーパーに卸してもまったく売れず苦しい経営状態に陥りました。それでも職人気質の父は、原料の質を落すことなく手造りにこだわり続けました。30数年前に大師町の『津田屋』さんから川崎大師に所縁のある大師巻を店頭に置いてもよいという申し出をいただき、大師土産として段々認知されていくようになりました。父から大師巻の商標登録をするように促され手続きがすむと、入院していた父は、それを見届けたかのように亡くなりました」

 父の薫陶を受けた典子さんの四代目就任は06年。それから7年、大師巻が爆発的な人気を呼ぶきっかけとなったのは、テレビ番組での歌舞伎役者の発言でした。全菓博会長賞受賞や神奈川県指定銘菓に認定。食べやすく3個ごとに包装したのも四代目の手腕。

 「13年3月にTBS『はなまるマーケット』の番組コーナー「おめざ」で、市川染五郎さんが大師巻を紹介してくださいました。放送当日には、数百件の注文を受け、これをきっかけに急激に売上げが伸びていきました。2年後に新工場が完成する予定ですが、手造り作業は変えません。昨年から午前中で売り切れる状況が続いていますが、夕方、会社帰りの人が買えるように頑張って造り続けます」

 参加者からの「堂本製菓の原点は何ですか」の質問に、「愛です。どんな環境にあっても人のために最善を尽くすのが堂本です」と即答。愛を語る女性経営者に煎餅屋の矜持を感じました。

◇住所/神奈川県川崎市川崎区元木1-2-4

◇電話/044-222-2454

http://www.doumoto.co.jp/


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